埼玉エキセントリック

埼玉人ですが小説が好きです。埼玉人ですが小説を書きます。

4、外はこんなに冷えているというのに(其の参)

      2018/06/07

「今日あなたがこちらへいらっしゃるのはわかっていました。」その店主はこういうのだった。私の行動が誰かに知られている?恐怖心が広がる。「私はあなたへ冒険の始まりをお伝えしなければならないのです。マリアが大天使ガブリエルによって、受胎を知らされた時のように。」私はその店主の言うことを、ただ茫然と聞き続けることしかできないのだった。物事を論理的に思考するのは、私の研究者としての特技であると考えている。小さい頃から、物事に、なぜ、どうして、仮説を立てて、結果を検証する。それを常、そして快としてきた。その私の思考は、現在ほぼ停止している。店主のおじさんの言っている文言は、耳に届く。しかしそれは、混ざり合うことのない水と油のように、私の脳に入った段階で、私の思考を止めてしまうのだ。だが一つ、予感として理解したことがある。私はきっとこの場所で、自分の心の闇への冒険へと旅立つことになるのだろう。きっとこの店主は私にそれを告げるために存在する、一つのシンボルなのだ。そうと理解してからは、恐怖心よりも探究心の方がまさってきた。この事象はきっと、私の人生にとって重要な意味を持つ。否が応でも対峙しなくてはならないことなのだ。
「あの、実のところ、ここのバーには偶然にはいっただけなんです。」私は正直に店主に打ち明けた。「そうでしょうな」店主は答える。「ですが、その偶然のように思える事象にこそ、必然が隠されているなんて、よくあることなのですよ」また難しいことを言う。「ところで、今日はずいぶん冷えるのに、軽装でらっしゃいますね。旅に出る支度はもうお済みで?」ジントニックを私に差し出して、店主は言った。「いえ、まさか、今日この瞬間に、あなたに出会うまで、私は自分が今夜旅に出ることになるなんて、知る由もなかったものですから。」やはり、コートを着てくればよかった、と少々後悔した。

 - 猫の影