机上の空論でもよいのではないか(其の参)
さて、かくして始まった暗闇への冒険だが、なんとか前進していることはわかった。僕のスタン・スミスのゴム底が歩く音と、シャドウの首の鈴の音のおかげで。
まるで光のない暗闇を進むというのは、こんなに恐ろしいものかと思う。シャドウも、僕の左脚に体をくっつけたまま、慎重に歩いていた。
体感でやっと100メートルほど歩いたところでだろうか、ふと、遠くに気配を感じた。やれやれ、どうして僕の部屋のベッドルームが、こんな暗闇になってしまったんだろう。そうだ、僕は彼女との関係性をもっと詳細に整理し直さなければならないのだった。
きっと、この冒険にも何か深い意味があるはずなのだ。僕がそれを見いだせていないだけだ。どこかで掛け違えたボタンは、きちんと自分の対のボタンホールに入れ直してあげなければならないものだ。
僕の身には、いま、考えもつかないようなことが起こっている。「人が想像し得るすべてのことは、起こり得る現実である」と、フランスの作家ジュール・ヴェルヌは言った。僕が今から想像しようとする、どこかで掛け違えた彼女との関係は、結論が出ても、それも一つ起こり得る現実として、この暗闇を導き出している。机上の空論でも良いから、何かを思考しなくては。そして、その考えを導き出し、何らかの答えを出すためには、まず、ここを歩き続けるしかないのだ。